「選択の科学」を読んで

一年に一冊程度、キターッと思う本に出逢うことがある。
「選択の科学」が、まさにそんな本だった。
ニューヨークのコロンビア大学ビジネススクール教授、
シーナ・アイエンガーって人が著者なのだが、彼女はインド人。
厳格なシーク教徒の両親と共に、幼少期にアメリカへ移住。
3歳の時、目の病気を患い、高校生になる頃には全盲になってしまったそうです。

そんな彼女が疑問に感じたのは、
「選択」が限られた、シーク教徒である両親の幸せと、
「選択」が自由な国と豪語するアメリカ社会の幸せ。
はたしてどちらが本当の意味で幸せなのか……。
彼女は大学に進学以降、「選択」をテーマに研究を重ね、
「選択」の謎をひたすら科学的に追求しました。
そして、これまでの成果が纏められたのが、この本です。

印象に残った、一節を紹介しましょう。

キツネはどうにかしてブドウを取ろうとして、しばらくの間がんばってみるが、
どうしても届かない。
そこでキツネはあきらめこんな負け惜しみを言って去るのだ、
「あのブドウはどうせすっぱいに決まっているさ」キツネの心変わりは、
わたしたちが不協和音を軽減するために本能的に取る方法の典型例だ、
わたしたちは自分の信念と行動の矛盾に気づくとき、
時間を巻き戻して行動を取り消すことができないため、
信念の方を行動と一致するように変えるのだ。
もし物語の筋が変わってキツネがブドウをとうとう手に入れ食べてみてすっぱかったなら、
キツネは努力が無駄になったと感じないために、
自分はすっぱいブドウが好きなんだと自分に言い聞かせることだろう。

また、ためになるよね~な一節をご紹介。

「マジカルナンバー 7±2:われわれの情報処理能力の限界」
これは人間の処理可能な情報量の数値。
たとえば、短い時間にいろいろな形を見せた後で、
それを小さい順に並べてもらったところ。
見せた形が7種類までの場合、順位付けは非常に正確だった。
ところが形の種類がそれより多くなると、
とたんにまちがいを犯すようになる。
物体の色や明るさ、音の高さや強さ、振動の位置や強さ、臭いや味の強さなど、
どんな感覚でもほとんどの人が5~9までのアイテムにしか対処できず、
それを越えると知覚の誤りを一貫して犯すようになる。

最後にフランスの数学者、科学思想家 アンリ・ポアンカレの一節。

「発明とは、無益な組み合わせを排除して、ほんのわずかしかない
有用な組み合わせだけを作ることだ。
発明とは、見抜くことであり、選択することなのだ」
冒頭に触れた、インドとアメリカの「選択」における幸せについて彼女が出した答えや、
動物実験やデパートでの商品販売を通しての実験など、
「選択」に関するエピソードがいろいろ記載されていて、面白かったです。
どんな本でも、その主張を鵜呑みにするのはNGですが、
「選択」に興味が湧いた方は、気楽に学説の一つとして読んでみるといいかも知れません。


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