その未来は どうなの? を読んで

数年前に廃刊になった、「広告批評」っていう雑誌ご存知ですか?

A5サイズの小さな本で、毎月1日に発行されていた月刊誌。

広告に引っかかる情報をセンス良く汲み上げ、

特に特集記事は旬の情報をスルドイ視点で分かりやすくまとめてました。

広告づくりに携わる者として、毎月読むのがとても楽しみでした。

広告に関する知識をいっぱい吸収させていただいた訳ですが、

中でも私が一番お気に入りだったのは、残念ながら広告とは一切関係無い、

「ああでもなく こうでもなく」というコラムでした。

毎月冒頭、橋本治さんが執筆されていたのですが、

橋本氏独特の視線で世相をのらりくらりと峰打ちする文章は、毎回私のツボにハマってしまいました。

橋本治といえば「桃尻娘」という小説を書いた人として有名ですが、

私は橋本氏の小説を一冊も読んだことがありません。

私は橋本氏の評論やエッセイなどの切り口が好きなのです。

ということで、橋本氏の名前が目に留まったので「その未来は どうなの?」を読んでみました。

 

期待通り、あいかわらず峰打ちブリを発揮していました。

男と女について、橋本氏はこう書いています。抜粋してご紹介。

「女は変われたのに男は変われていない」という嘲りが、女から男へ向けられました。

でも「譲歩をする必然」を受け入れる頭脳はあっても「変わる必然」のない男には変わりようがないのです。

たとえば「女は美人になったんだから男だってイケメンになればいい」と言われても、

男性優位社会の中のイケメンは、

男性優位社会を構成するブサイク男達の嫉妬の対象になってしまうので、それほどいい思いができません。

男性優位社会というのは、ブ男でも損をしないように出来上がっているので、

「イケメン」はたいした特権にならないのです。

また、民主主義の欠点についても書いています。

「民主主義はズルをする」になってしまいます。

「なんでも話し合って決める以上、話し合いのための議論を磨く」ということも必要でありましょうが、

そのトレーニングが「嘘の立場で相手を負かす」になっています。

つまり「話し合いで決める」ということは、

いつだって「相手を打ち負かすための嘘」が混入可能だということです。

力による戦いに「嘘」や「ズル」がないわけではありません。

相手の虚を衝く「奇襲作戦」や「騙し討ち」がありますが、

卑怯なことをした者は「卑怯者」のレッテルが貼られます。

当人だけでなく「末代までの卑怯者」というとんでもないレッテルにもなります。

「卑怯者」という人間として最低のレッテルが貼られるというモラルが力による戦いの世界に存在するのは、

それが「命懸けの戦い」だからです。

だから力による戦いの世界では、

「言葉だけの人間」が軽んじられあまり信用されませんでした。

でも今や「力による戦い」は封じられて、戦いは言葉によるものです。

ディベートによって戦いの技を磨く議論の世界に「モラル」があるのかと言えば疑問です。

話し合いによる民主主義は、話し合いによるものだからこそ、

ズルが生まれやすいのです。

どうです。ユニークで的を射る見解だと思うのですが、いかがでしょう。

この他にもTVや出版、地球温暖化や3・11についても触れているので、

気になった方は、暇つぶし感覚で読んでみてください。


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