あの忌まわしい3.11から1年と半年が経過。
重松清の「希望の地図」読みました。
冒頭、ノンフィクションなのかフィクションなのか不思議な感じに囚われ、
いつものように快調に読み進むことができませんでしたが、
疑問が晴れてからは、「こんな挑戦もアリかな」と納得して読むことができました。
あの震災で大きな被害を被った地域が舞台だけに、
ひとつひとつの描写にいつも以上に想像力を働かせ、
リアルな状況を思い浮かべようとじっくり読み進めました。
しかし、被災地を体験していない私は、
どうしても報道や新聞で見た映像や写真の範囲以内でしか、
状況を思い浮かべることができません。
そこには、気温があり、風があり、音があり、匂いがあるはずなのに、
情けないことにそれらを甦らせる術がないことを、
この本を読むことによって再認識させられました。
震災復興といえば、私共が日頃からデザイン制作に携わらせていただいている、
お得意様の取り組みに触れなければならないでしょう。
その会社は、震災発生から直ちに全社をあげて復興支援活動を開始されました。
まずは自己満足な支援にならないよう、「いま被災地では何が必要なのか」、
「どのルートで、どこに行けばいいのか」を慎重かつ迅速にリサーチ。
その上で、被災された方々が日々のお風呂に困っているとの情報を入手すると、
シャワーコンテナを造り、キャラバン隊を組織して各地で移動シャワーを提供。
また、岡山・東京をはじめ各地から有志を募り、現地の営業所と一体となって
炊き出しを行うなど、まさに役員、社員が一体となって現地に赴き、
マンパワーでの支援活動を何度も繰り返されています。
実際に活動に参加された方に現地の様子を伺ったところ、
「とてもヒドイ」、「想像を絶する状況だ」と教えてくれました。
このようなお得意様の真摯な取り組みは、
たくさんの被災者の心身を癒したことでしょう。
それに比べ、私共は僅かな義援金を寄付しただけで、人的支援が行えていません。
お得意様の支援活動に取り組む熱意やスケールの大きさを思うと、
自分たちの不甲斐なさを否応なしに思い知らされるコトとなりましたが、
そんなフラストレーションを緩和してくれたのもお得意様でした。
「来週から行ってきます」、「無事、昨日帰ってきました」、
身近な存在の方たちが前向きに支援活動に取り組む姿に、
なんとなく自分たちもかろうじて繋がることができてるのかな?と、
勘違いもはなはだしいのですが、少し救われたような気がしました。
この本で印象に残ったフレーズを少しだけ紹介。
「ぼくらは世界に対して無力さを感じることに負けてはいけない」
これは、コロンバイン高校銃乱射事件で生き残った一人が語った言葉。
そして、もう一つ
「そもそも希望とは与えられるものなのか、自分の外で光り輝いているものなのか。
さらにいえば、希望とは未来にあるものなのか?
そうではない、希望はいまの自分の中にある、きみの胸の奥には、
希望をたくわえる器が生まれたときから備わっているんだと僕は思う、
順風満帆の未来を照らす希望は「夢」「期待」「理想」と置き換えられる、
それももちろん大切なのだが、逆境に陥ったときに
初めてその存在に気づく、いまを乗り切るための希望についてーー」
これについての、詳しい内容はナイショです。
この本は言っています。
「夢」はなんの脈絡もなく想い描くもので、
「希望」は逆境に陥って苦しみの中から生まれるものだと。