2020年2月11日の朝、スマホに野村克也さん死去の速報。思わず「えっ!?」と声をあげた。
隣にいた嫁さんが「どうしたん?」
「ノムさんが死んだ…」
普段、身内が亡くなってもあまり泣くことはないのですが、ノムさんの訃報にニュースを見ながら一人泣いてしまいました…。
色々なチームで活躍されたノムさんですが、阪神ファンの僕はやはり1999年から2001年までの阪神監督時代が忘れられません。
この頃は「暗黒時代」まっただ中。阪神はポンコツに弱かった(笑)。
そんな時、ヤクルト監督を退任したノムさんが阪神の監督になるとのニュース。僕の周囲には「え〜っ」と言ってる人もいましたが僕はかなり期待していました。
ただし「勝つ」という期待ではなく、「面白い野球やりそう」という期待でしたが。
案の定、ノムさんはいろいろやってくれました。
・キャンプ、オープン戦での投手新庄
・松井キラーとして遠山の再生
・遠山 – 葛西 – 遠山 – 葛西
・俊足選手7人を「F1セブン」と名付けて売り出し(笑)
…などなど。
中でも、1番印象に残っているのは遠山vs松井です。
観戦に行ったのは1999年6月13日対巨人戦。7回裏二死三塁で、阪神は代打の石井浩郎を敬遠して3番・松井秀喜との勝負を選択。
一塁内野席から観戦していた僕を含め甲子園は大声援。屈辱を味わった松井の背中からメラメラと炎が見えました。
結果は空振り三振。
この展開にかなり興奮したのを覚えています。
当時、遠山の松井キラーぶりは凄まじく、1999年シーズンは結局松井を13打数0安打!「野村再生工場」の成功例の一つでした。
※ちなみにこの試合の前の日が、巨人槙原の敬遠球を新庄がサヨナラヒットしたあの日です。
この年は一時単独首位に立ったものの、9連敗や12連敗もあり最終的にはいつもの最下位に無事着地(笑)。
星野監督以降でファンになった人たちには分からないでしょうが、本当にこの頃は弱かった。ただ、1番観戦に行っていたのはノムさん時代でした。当時は今と違ってチケットも取りやすかったですし。弱かったけどなんか楽しかったような気がします。
試合観戦に行くと必ず写真を撮ってましたが、意外に監督の写真はなく、唯一残ってたのは試合前練習での1枚。まだ、帽子が白いデザインなので就任1年目の1999年のはず…。
ちなみに手前でトスバッティングしてるのが現監督の矢野さんですね。
フイルムカメラ時代のもので良い感じに色あせてます。
こうやって昔の写真見ると、あれから長い年月が立ったのだと感じました。
試合での采配だけでなく、テレビでの解説などでも長い間楽しませていただきました。
もうノムさんの“ぼやき”が聞けないのはとても残念です。
ありがとうノムさん。天国で沙知代さんといつまでも仲良くお過ごしください。
そしてこれからの野球界を温かく見守っていてください。
最後に、我らが阪神タイガースよ。ノムさんのためにも優勝目指して頑張ってくれー!