私は左目に比べ極端に右目の視力悪いため、定期的に眼科に通っている。
左目は単なる近視なのでメガネで補正。
右目は複雑な事情でハードコンタクト。
だから、一見普通のメガネマンに見えるのだが、
実は右のレンズには度が入っていない。右目はコンタクトで補正しているのである。
したがって私は、メガネとコンタクトの〝夢のコラボレーション〝を実践している
日本でも数少ないひとりである。
そんなことはどうでもいいのだが。
先日いつものように定期検査に訪れると視力検査をすることになった。
目が悪い人なら分かると思うが、視力の低下が進行しているのか、大丈夫なのか、
視力検査と思うだけでマバタキが増えてしまうほど
メガネマンにはけっこうなプレッシャーとなる。
意を決して、いざ、視力検査。
すると、あれれ……
目が悪い人なら分かると思うが、日頃の感覚よりヤケに調子のいい瞬間が
突如として訪れることがある。
しかし、今はその〝調子のいい〝を発揮する時ではないのである。
いつもの見え具合を知りたいのだ。
調子がいいせいで、問題の右目が4段階も良くなっていた。
なんだか嬉しそうにしている先生がシャクに障る。
そして、この奇跡の瞬間を運転免許の書き換えの時にもってこれなかった運命を呪った。
今回視力検査をやってみて、改めて感じたことがある。
現状の視力検査では、検査される側と検査する側のサジ加減ひとつで
視力なんてどうにでもなるということ。
右、上、下、左、正解が続くと検査官のマークを示す棒の動きが軽やかになる。
その様子を見ているこっちも、期待に応えようと、
ロクに見えてもいないのに、カンを駆使して正解を導き出す。
あれは良くない。
今回の検査でもボケボケの曖昧モコモコなのに、
次々と視力を上げていく検査官につられて、何度かノリで答えて正解してしまった。
これだけ科学が発達した現代。
両目をセットすれば、「あなたの視力は○○です」ってキッチリ
検査できるマシンができないのだろうか?
ボンヤリ見えてはいるが、ハッキリではないので「見えません」。
ボヤケてはいるが、なんとなく上の方が白っぽいので「上!!」。
そんな視力よりも人間性を試すような検査は、やるせない。
でも、よくよく考えてみると、
「痛かったら言ってくださいね」も同じで、
どこまで我慢すべきか、これも困る。
このように個人の主観と向き合う医療って、いかがなものでしょう。
視力検査でどのくらい見えたら答えるべきか……その答えは見えない。