引退

とうとうプロ野球もシーズンが終わりしばらくの間、一喜一憂できない寂しい時期になります。(まだ、CS、日本シリーズがありますが)

僕ももう来年41歳になりますが、この歳になると1番活躍を見ていた選手がどんどん引退していきます。
特に今年は大物が多く引退してしまう印象が強いです。
我らが阪神ターガースでは関本、渡辺。中日の谷繁、和田、小笠原、朝倉、そしてとうとう山本昌が引退です。そのほかにも齋藤隆、高橋尚、、西口、木佐貫、谷、中嶋、森本稀哲など…。活躍を見て興奮した選手、打たれたもしくは打てなかった印象の強い憎っくき敵の選手。思い出は様々。スポーツ選手なので仕方ありませんが、僕より年下の選手が一線を退くというのは感慨深いものです。僕はサラリーマンなので60歳で退職ならまだ半分です(笑)。ということは、40歳で引退する野球選手にたとえるとまだ僕は30歳くらいのバリバリ活躍世代になるということに…。あちこち体にガタがきてしまっていますが、頑張らないといけないような気がします。

そんな引退選手多き今年、先日阪神タイガース関本選手の引退セレモニーをテレビで見ました。

号泣です…(笑)

長年、ファンとして苦楽を見て来たので余計に泣けました。
※基本的に引退セレモニーとかは誰のでも泣けるのですが…。

引退スピーチでは実に関本選手らしい言葉が多々あり、人柄がにじみ出ていました。

ご紹介します。

「小学生1年生から始めた野球一筋31年。この聖地甲子園で、これだけ多くのファンの皆さんの前で引退できる僕は幸せです。
このような盛大なセレモニーを準備してくださった阪神タイガース球団の皆さん、本当にありがとうございます。また、僕のために残っていただいたカープファンのみなさん、ありがとうございます。

ここまで、大好きな野球を続けてこられたのも、皆さんの支えがあったからです。
いい時も悪い時も支えてくれた家族、友人、知人のみんなありがとう!大きく生んでくれた、そしていつも応援してくれるお父さんお母さんありがとう。
僕の両親は僕をプロ野球選手にするのが夢でした。19年間必死にもがきましたけど、少しは親孝行できたんじゃないかと思っています。

この19年間には、怪我の多い僕のために体のケアをしていただいたトレーナーさん、治療科の先生、来たボールをただ打つだけでは打てない僕のためにサポートしていただいたバッティングピッチャーの皆さん、スコアラーさん、いつも僕たちのために最高のグランドコンディションを作ってくれた阪神園芸の皆さん、皆様一人ひとりの支えがあって今日まで来れました。本当に感謝しかありません。

この甲子園球場にお集まりのファンの皆さん、全国で応援してくれたファンの皆さん、いままで一番力になったのは皆さんの大声援です。先日の引退会見でも言いましたが、ファンの皆さんの声援がなくなったらやめようと決めてました。 しかし、最後の一打席まで熱く大きな大声援本当にありがとうございます。

阪神タイガース背番号3関本賢太郎は今年でユニフォームを脱ぎますが、これから始まる第二の人生は、皆さんの支えていただいた気持ちを胸に、必死のパッチで歩んでいきたいと思います。そしてまたいつか、この甲子園に帰ってきたいと思います。

最後に一つだけ言わせてください。今年10年ぶりの優勝は逃してしまいましたが、これからも阪神タイガースに熱い、熱い、熱いご声援をどうぞよろしくお願いします!
19年間本当にありがとうございました!!」

書いててまた泣きました…(笑)

最後のチームメイトとの別れの挨拶で福原が大号泣、ここでまたもらい泣き…。
※ここで思わずもらい泣きした人多いんじゃないでしょうか。

僕は退職する時にこんな言葉が出てくるでしょうか?
いい会社に恵まれて、いい社員に出会えて、いいクライアントに巡り会えて、家族に支えられて、なんとか仕事出来ています。デザインという「正解の無い仕事」で日々葛藤の連続ですが、1つでも皆さんが喜んでくれるデザインづくりを続けていきたいです。

関本選手お疲れ様でした。コーチとして帰って来る日をお待ちしています。

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最後に関本選手のために残って声援を送ってくれたカープファンの方々ありがとうございました!

 


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