二人で観たという映画の内容を聞いてみた。
コリコリコリ……私のフロッピー並みの記録装置が反応した。
あっ! あの映画のことかっ!!
あの映画って「ファーストラブ」って題名だったんだ。
人生には、まったく予期しない時に、それまで探し求めていた答えに
ブツカルことがある。
まさにあの時がその瞬間だった。
あれは確か二人が中学1年か2年の時、
いつものように立ちコギで映画館へ行った。
当時の映画は、東京での上映が終了して3 ヶ月から半年遅れて
地方の映画館にやって来た。
だから、岡山で上映される時には「遅くなってゴメンネ~」の
気持ちだったのだろう、頼みもしないのに2本立てや3本立てになっていた。
そしてこの映画館の一方的なサービス?には何のポリシーもなく、
単に映画1本の料金で2本、もしくは3本観られるからお得でしょというモノ。
例えば2本立ての場合、「ロッキー」と「ドラゴンへの道」などの
組み合わせならなんとなく分かるが、
「サウンド・オブ・ミュージック」と「13日の金曜日」などの組み合わせは、
心の整理が複雑すぎて、いったいどんな心理状態で観れば
2本とも楽しめるのか理解できない。
実際にこんな組み合わせがあったわけではないが、
ほとんど何の脈絡も無く、メイン映画とその他に属するオマケ映画が
セットになっていたことは確かである。
で、その日の二人のお目当ては「サタデー・ナイト・フィーバー」だった。
ビージーズのオカマの絶叫マシンのような歌い声とともに、
日本中いたる所でフィーバー! フィーバー! と叫ばれ、
その熱狂たるや二人の田舎少年がたじろぐほどスサマジイものだった。
この映画が基となり、俗に言うディスコブームが日本に到来したのだ。
アゴかパックリと割れたジョン・トラボルタが、シャツのボタンを
第7ボタンまで開き、襟を立てて踊る。
人差し指を立てた腕を高々と掲げ、もう片方の手を腰にあてる、
ご存知のあのキメポーズ。
それにいたるまでのダンスは、いま見るとスローモーション。
まるで能を舞っているように見えることだろう。
とにかく当時のダンスはテンポがゆっくりで、
EXILEのような剥き出しのエナジーは必要としていなかった。
それでも昭和の人々は、アレがカッコいいと思い、誰もが真似をしていた。
本命の「サタデー・ナイト・フィーバー」を観終わり、次はオマケの映画だ。
この日の映画もやっぱり2本立てだったが、田舎の少年たちはどうせ暇である。
二人は何の迷いもなく、続けて次の映画も観ることにしたんだと思う。
そしてこの映画こそが、純粋無垢な田舎少年の胸に突き刺さる映画。
35年もの間、題名が分からなかった「ファーストラブ」だったのである。
顔は当時から個性的でしたが、
スタイルはシュっとしてました。