選挙、行きましたか?

私が小さい頃から変わらないもの。
人はどんどん変わるけど変わらないもの、「選挙運動」。
職業柄、選挙ポスターにはつい目がいってしまうのですが、
でっかく名前が書いてあって、政党名と候補者のわざとらしい微笑の写真、
あとキャッチフレーズ的な文句が少々。

変わり映えしないなあ。
どうせ選挙なんて昔っからそんなもんなんでしょ。

なんて思ってたら大間違い。


これらは昭和3年(1928)第16回衆院選「第1回普通選挙」のポスター。
昭和モダニズムに彩られたデザインは、バラエティー豊で今見ても斬新。
現在と比べ物にならない印刷技術や、ポスターに関する制限を
いかに克服して、目立つことに知恵を絞ったことでしょうか。

まあ、自由すぎな気がしなくもない。

下段左は謳い文句を胆略化しすぎて何を言いたいのかわからないし、
その右はデザインに凝り過ぎで選挙ポスターとしてはいかがなものだろう(笑)
それでも見ていて楽しいし、
どうにか選挙を盛り上げようという意欲が感じられますよね。

法政大学大原社会問題研究所のサイトより、
戦前・戦後のポスターアーカイブが閲覧可能です。
選挙ポスターの他にも昭和のポスターやビラの画像が満載で
お好きな方にはたまりませんぞ。

ついでに海外からもひとつ。

2009年の大統領選挙で一躍有名になったポスター。
見た事がある人も多いのではないでしょうか。
元々はストリートアーチストのシェパード・フェアリー氏が自主制作したもの。
オバマを支持したい!と勝手に作ったポスターが
制作と同時に飛ぶように売れ、国中に貼られまくり、
まもなくオバマ陣営から「ぜひオフィシャルイメージへ」とコンタクトがあったそうです。
フェアリーの「HOPE」はオバマを勝たせたポスターとして、アメリカの歴史に刻まれたのでした。
(本来市民が勝手にポスターやチラシを貼る事は法律違反なんですが、
それをオフィシャルイメージにしてしまったオバマ陣営は懐が広いというか、よく“わかってる”ね)

今の日本の選挙は型にはまりすぎててちょっとつまらない。
せめてポスターだけでももっとデザイン性のある面白いものに出来ないのかな。
オバマ氏のポスターとまでいかなくても
退屈極まりない現状のポスターを変えてみようという動きはないものか。

選挙活動方法が違うアメリカと比べても…と思うかもしれませんが、
公営の掲示板に貼られる選挙ポスターは、大きさや枚数、場所や期間の規定はあるものの、
意外ですが、表現については規制はあまりないんですよね。
虚偽と利益誘導は駄目、とかその程度。
つまり文字だけでもいいし、掲示責任者と印刷責任者の明記があれば
写真だけでもいいんです。
写真だけだと意味をなさないからあり得 ないとは思いますが。

ただ、そこには人の中に刷り込まれた「当たり前」というものが立ちはだかります。
選挙は人を選ぶことですから、限られた寸法の選挙ポスターに求められることは、
何よりもまず人がアピールできること。ということは「顔」と「名前」 なわけです。
ということは、顔写真と名前を大きく、ということになります。
顔写真は、笑顔で。目線は正面に。
結果として、広告やデザインの普遍的な法則に則ってつくることになるわけです。
こういう「当たり前」を超えなきゃいけない、
だからこそ新しいことって難しいんですよね。

ポスターだけで判断され、投票されるなら必死に何かの策を講じるでしょうが、
選挙はポスターだけではないですしね。
選挙という人生をかけた一発勝負になかなか冒険はできないでしょうけど。
とはいえ若者が投票に行かない昨今、そういう変化も必要になってくるのではと思います。

ソフト路線での変化として、
そのすべてを少しずつ違う写真にするというのはどうでしょう。
顔の表情や角度を変えるのもあり、服装を変えるとか…
「あれ、他の所で見たのと違うぞ」と興味を引かせる事はできるかも。


カテゴリー: 日記, 黒服A パーマリンク

コメントは停止中です。